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地下鉄の線路に転落した見知らぬ泥酔オヤジを助けることができなかった

2007年秋のある日の夜。仕事帰りの私は地下鉄のホームで『賭博黙示録カイジ』の分厚いコンビニ漫画を読みながら、次の電車を待っていた。

その頃テレビでアニメ化された『逆境無頼カイジ』をたまたま観て、身体や命を張るハイリスクなギャンブルや、狂った大富豪との極限状況下での心理戦に心を揺さぶられ、こんな面白い漫画が存在したのかと感激し、そこからどっぷりカイジシリーズにハマっていった。

カイジシリーズの主人公、『伊藤開示』は基本的に自堕落な生活をしているダメ人間だが、ここぞという時、自分を律して泣きながらでも正しいと信じる道を突っ走る。自分を裏切るダメな後輩や、何の得にもならないダメなおっさんを助けたりする。主人公のそういう所がとても魅力的だった。自分もそうありたいと思った。

泥酔オヤジ登場

私はホームの柱に寄りかってしゃがみ、上機嫌で『賭博黙示録カイジ』を読んでいた。すると10mくらい離れた隣の柱の横に、仕事帰りなのかよれよれのスーツを着た赤ら顔の泥酔オヤジが現れた。志村けんのコントばりの泥酔っぷりで、傘を杖代わりにしてなんとか倒れないように立っている感じだった。それを見た私は「しょうがないオヤジだな」と心で呟き、再びカイジの世界に戻っていった。

「○○行き、電車が到着します。白線の内側でお待ちください」地下鉄のアナウンスが流れた。グゥオーと、遠くから電車が走る音がうっすら聞こえ始める。

「パンッ」と横で音がした。見ると、泥酔オヤジが白線の上あたりに傘を倒していた。泥酔オヤジは傘を拾うべく前かがみになって手を伸ばした。傘の少し上あたりの空中を手で掻いている。

「そこじゃねーよ、もっと下だよ」と横目で見ていると、その泥酔オヤジはバランスを崩し、床に前転するかたちで転がったかと思うと、そのまま線路に転落してしまった。

えっマジで!!!!

泥酔オヤジ線路に転落

頭の血の気が一気に引いた。私は慌てて立ち上がり線路をのぞきこんだ。線路の上で泥酔オヤジが胎児のように丸くなって倒れていた。転落した場所はホーム後方で、電車が入ってくるトンネルからほど近い。トンネルに目を向けると、あと300mもないくらいに電車のライトが迫っていた。この駅に停車するため減速してはいるのだろうが、それでも急に止まれるようなスピードではない。

ホームには全部合わせて10人程度が電車を待っていた。転落に気づいているのは数人程度。泥酔オヤジに一番近いのは私だった。

飛び込んで助けるべきか? しかし電車は目前で間に合うか? そんな葛藤をしていると『線路に転落した老人を救助しようとした若者が一緒に轢かれてしまった』的なニュースが頭をよぎった。私は迫り来る電車のライトを見つめ、ただただ立ち尽くしていた。周りの人も何もできず私と同じように棒のように立っているだけだった。

線路に横たわる泥酔オヤジに気づいた運転手がけたたましく警笛を鳴らし、金属を削るような轟音を立てて急ブレーキをかける。しかし、どう見ても泥酔オヤジの前で止まることはできそうもなかった。

泥酔オヤジが轢かれる瞬間を見たくないと思った私は、数歩下がり、後ろを向いて目を固く閉じた。その瞬間は真っ黒い手が現れて私のみぞおちをぎゅうっと鷲づかみしてるような、とても不快な心境だった。

電車が緊急停止

しばらくして振り返ると、泥酔オヤジが転落した場所から20m通過したあたりで電車は止まっていた。停車した後も警笛は鳴り続き、葬式の出棺のようだと思った。

絶望的な気持ちになった。あの瞬間、伊藤開示なら線路に飛び込んで救助しただろうか。私は何もできなかった。飛び込んだところで、迫り来る電車のプレッシャーに押しつぶされて慌てているうち、物理的にも押しつぶされてしまっただろう。

ふと、壁に備え付けの赤いボタンが目にとまった。ああ、そういえば緊急停止ボタンがあったか。泥酔オヤジが落ちた時、すぐにあのボタンを押せば間に合ったのかもしれない。そんな考え一瞬もよぎらなかった。

とんでもない現場に居合わせてしまった。命を救うことができたかもしれないのに何もできなかった。ついていないと思った。こんな状況に巡り会うという不運を呪った。これは当分落ち込みそうだ。

いやまてまて、どうして私がこんな精神的負担を強いられることになるのか。大体、あんなになるまで飲んでしまった、酒に飲まれてしまったあの泥酔オヤジが悪いんじゃないか。自業自得だ。私は絶対に悪くない。

電車の乗客は車内に閉じ込められたままだった。中を見ると「何があったのだろう」と不思議そうにしているヤツや、何が楽しいのかニヤニヤしているヤツや、我関せずと読書しているヤツがいた。今の状況をスケッチブックに太字のマジックで書いて乗客に見せて教えてやりたかった。自分が乗っている電車が人を轢いたなんて、けっこう嫌な気分だろう。やつらに少しでも私と同じような精神的負担を与えてやりたかった。

駅員が駆け足で現れた。線路のどのあたりに転落したか聞きかれたので私が答えようとしたら、さえないサラリーマンが後ろから飛び出して来て、「ここです!」と妙にはりきって駅員に伝えた。なんだよお前は、しゃしゃり出てきやがって。と妙に腹立たしく感じた。

落ちたと思われる場所に駅員がしゃがみ込み「お客さんッ、お客さんッ、大丈夫ですかー!?」と電車の下に呼びかける。

大丈夫なわけない。電車に轢かれたんだから。まあ、こういうのは形式上やんないといけないのだろう。と思いながら、私は不毛な呼びかけをする駅員を見つめていた。

駅員は何度も何度も「お客さんッ、大丈夫ですかー!?」と聞き続ける。

「ぅぉぃ………」

しばらくして電車の下からくぐもった声が聞こえた。

「ええ!お客さん、お客さん、大丈夫!? 生きてるの!?」

「おう、生きてるよーッ!!!!」

なんと、信じられないことに泥酔オヤジが返事をしたのだ!

泥酔オヤジ九死に一生、奇跡の生還

どうやら泥酔オヤジは電車が通過する直前、ホーム下の待避所に逃げ込んだらしい。「しょうがねえオヤジだな、まったく手を焼かせやがって」みたいな苦笑を浮かべ「生きてます!」と駅員が高らかに宣言した。ホームに居合わせた10数名による歓声が巻き起こった。私は全身鳥肌が立ち、目に涙が浮かんだ。ああ、良かった。あの泥酔オヤジ、生きてて本当に良かった。これで助けられなかったという精神的負担はなくなった。

電車の扉が開きぞろぞろと乗客が降りはじめた。電車が急停止したため、開く扉は限られており、我先にと慌ててホームに飛び出している。今ここで何が起きたかみんな知らないだろう。つい先ほど、ここで奇跡が起きたんですよ。嬉しすぎて見知らぬ人に声をかけたい衝動に駆られたが、我慢した。

しばらくしてレスキュー隊が到着した。いち早く救助するためせわしなく機材を運んでいる。救助の瞬間を見てみたかったが、けっこう時間がかかりそうだし邪魔にもなるので帰ることにした。

電車には乗れないので私は徒歩で帰ることになる。地下鉄の駅から地上に出ると雨が降っていた。救急車や消防車が数台、駅の周りに止まっていた。赤色灯に照らされ、夜の街が赤黒かった。 あの泥酔オヤジ、とんでもないお騒がせ野郎だ。

今度、駅のホームで泥酔した人を見かけたら、線路に転落しないよう近づいて見張ってやろうと心に誓い、雨に濡れながら家路を急いだ。

この記事は、バキュームカーという名前で個人的にやってたmixiに2010年11月6日に投稿した日記をサルベージしたものです。このころ暇さえあれば小説を読んでいて、その影響で一人称を「私」にしてみたり、「だ・である」調のかっこつけた文体になってます。ちなみに40歳になった今、ホームで泥酔した人を見かけたら極力離れるようにしてます。飲み過ぎには気をつけましょう。

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